先人の想いを未来へ継承するために

先人の想いを未来へ継承するために

久 住
具体的な話をしたいと思います。たとえばね、左官屋ひとりに1年あたり300万くらい使ってくれて、明けても暮れてもほかの仕事せずに、磨きばっかり練習させてくれれば、なんとかなります。春先から秋、寒くなる手前くらいまで勉強してもらえば、ものになる。そうすれば、一気にばっと未来が開けると思う。
挾 土
ここの蔵を見てると、あまりに素晴らしくて簡単に触れられない気持ちになる。ひびわれまで美しいと感じる。だからここでいきなり練習をやってはいけない。ここはこのまま残してほしい。その代わり、町で古い土蔵をひとつ持って、常に公開的に塗ってはどうか。塗っては壊し、塗っては壊しの勉強会を現場でやる。延々とやってる。それが町の一角の風景になれば、風景としてもおもしろいし、人が集まってくる。増田町にくれば、黒の勉強がいつもできるというようなことを行政でやればすごいんじゃないかと思う。
小 林
ということなので、(高橋市長に向けて)ポケットマネーで結構なので(笑)。
久 住
漆喰磨きの学校ができたら、世界的に見てもただひとつだと思う。意外に漆喰磨きはヨーロッパには多いんです。いちばん古いのはトルコやシリアで、紀元前4000年くらいからあります。石灰でいちばん古い使用例は1万5000年くらい前からで、壁を塗り出したのは紀元前8000年くらい前、かまども暖炉も椅子も全部漆喰で塗られた遺跡がシリアから出てます。
日本に伝わったのは1400年くらい前ですが、いちばん最初に漆喰が塗られたのは、大阪の四天王寺。オリジナルはなくなってますが。文献で残っているのはフランシスコ・ザビエルが本国に送った書簡のなかに、「光り輝く白壁が清潔にして天国に行ったよう」というのが残っています。これが磨かれていたのか、日に照らされて輝いていたのか明らかではないけれど、それに近い状態の漆喰があったのではと思われます。黒い漆喰磨きというのは律令制度の頃からです。書類を書くのに墨が必要で、奈良には墨屋さんが多かったので。奈良や大阪から黒漆喰は始まった。でもいまでは角館とか気仙沼とかこことか、東北のほうが多くなってます。
原 田
地味なことなんですけど、ぼくらにはあたりまえなんですけど、たとえば、漆喰には海藻の糊が使ってあるんですね。じゃあ、その海藻はどこから持ってくるのかとか。割れ止めに使う麻の繊維はどこから来ているのかとか、そういうことも非常に大事なやりくちです。農業や地域とぼくらはつながっていて、左官の仕事は左官だけでは成り立たなくて、材料をつくる人、鏝をつくる人、いろんな人たちが関わって成り立っている。そういうことも大事だと思います。
小 林
原田さんのところには、若いお弟子さんは何人くらいいますか?
原 田
弟子は3人います。いま、左官の平均年齢が50代後半、我々がピークであと5年もしたらいなくなるということですね。そこでどうしたらいいかという話で、ぼくらの仲間で職人会をつくっています。高校へ行って、楽しいんだよ、ものづくりはいいんだよ、と塗り壁の話をしたりする。ほとんどの人は興味ないです。でも、たまぁに、ものづくりが好きという人がいます。ひとりでもいれば、その子とつながればいい。そういう子を大事に育てていく。地味に続けていけば、つくるのが好きな子とつながれます。若い人たちとこういう会をつなげるのが大切だと思っています。
挾 土
若いのは4人くらいいます。若い職人を育てるのはほんとに難しいです。今回は漆喰がメインみたいに話してますけど、やっぱり土で中塗りして、きちっと正確に平らな下地をつくるのが大事。そういうふうになるまでに何年もかかります。それができて初めての漆喰です。
うちなんか畳2枚くらいのスペースの壁をつくって、夜とか、やみくもに数塗れということにして、入ってきた子が夜塗る、朝見ると鏝波ができてる。また塗る。そうやって上手になっていって、いい下地ができてくると初めて、俺とおまえは話ができるな、ということになる。だから数塗る場所をつくってやるってことが大切です。
いまの左官は2ミリくらい塗るのが関の山で、厚さ1センチも2センチも塗る現場はなかなかない。そういう意味でも民間のなかで育ってくるのは難しいので、行政ぐるみで若い子を育てる助けが必要ですね。
久 住
札幌に中屋敷くんという左官の会社の社長がいて、おもしろいやり方で職人を育ててます。職人の世界は「見て覚えろ盗んで覚えろ」といわれますが、いまは自主的に努力する子は少ないんです。育て方も昔と同じことやってたらあかん。
中屋敷くんはぼくが塗ったのをビデオにとって、これを見て覚えなさいと、高校出たばかりの素人に、塗っては落とし塗っては落としを繰り返しやらせる。10日目には1時間に10回くらい、2週間くらいで1時間に20回くらい、だいぶできるようになる。材料を練り返したり、というようなこともすばやくしないとできないから、動きが俊敏になってくる。たった2週間で目がしゃきっとして職人の顔つきになる。いま、ビデオ売ってるし、YouTubeで、「中屋敷・モデリング」で引けば出てきますよ。
中屋敷くんが偉いのは、その2週間、倉庫で練習させるとき、日当を出すんです。2週間分、現場で働かないけれど、でも、簡単な現場で塗れるようになるから結局、生産性上がるんです。そうするとね、入りたての子でも「あいつおれんとこにまわしてくれ」と、ひっぱりだこになるらしい。10年選手だって、1時間に20回塗れなかったりする。リズム感とか方法とかいろんな要素が必要です。
だから訓練方法を見直して、1年で磨きができるようになれるようプログラム組んだらできるんじゃないかという気がする。ちゃんと親身になってやれば、短期間で成果が出ると思います。
黒 田
左官でも、職人がいない、材料の調達が難しい、本格的な道具がなかなか手に入らない時代になってきているということですが、増田に住まう人の生活も、後継者不足という問題があります。空き店舗利用とかで対応しているというのがあるんですが、住まう人の気持ち、守る職人の意気込みという、ソフトの面も育てていかなくては。住む人、それを守る人、相乗効果で盛り上げていかなくてはなくては、一過性のもので終わってしまうんじゃないかと。100年以上前の立派なものが評価されて残ってきているわけで、先人の想いを将来に受け渡していけるような体制にいま急いでもっていかないと、難しいところに来ているような気がします。
挾 土
ぼくちょっと思うことがあって。飛驒高山にも扉に黒磨きがやってあるいい蔵がありますが、そこが店舗になって観音扉が外気に触れるようになって2年くらい経つと、あの真っ黒でぴかぴかだった黒磨きが、白くなって艶が消えてしまう。
ここでも母屋があって、その奥に土蔵があって仮囲いで守っているケースを見かけましたが、仮囲いが解体されたり、風向きが変わってしまうと、100何十年守った土蔵が変化してしまう可能性がある。だから、囲っているだけじゃない関係があるんで、屋根や仮囲いには注意した方がいいという予感がします。
小 林
黒漆喰がすごいということだけじゃなく、鞘の部分、石の部分、すべての部分で素晴らしい仕事がしてあります。やり直してめくって塗るだけが直すということではないんですね。
原 田
直すというか、続けるということだと思うんですね、一過性じゃなくて、この町には職人がいるのがあたりまえという、職人の言葉で段取りするといいますが、段取りできるといいですね、特別でなくて漆喰を塗る職人があたりまえにいる、というような。
高 橋
左官に限ったことでなく、この地域の職人さん、大工、板金、床屋など含めて、産業の育成が必要です。ややもすると、大手の業者がプラモデルを組み立てるように安く家を建ててしまう。それでは職人さんが根付かないという部分もある。
でも、材料が生きる家、職人さんの家は文化的でステータスだというブームを醸成しないと。ここはみわたすばかり山で、いい木材もあるんですけれど、結局はそういうものも活用されなくなる。発注者側が腕に対する評価をもっていないと、産業が支えられません。啓蒙という言い方も上から目線ですが、行政サイドからそんな気運を高めることを考えないといけないのかなと思っています。
挾 土
いい文化人が好んでくれる町づくりというのもありだと思う。秋田の増田町は隠れ家っぽくていいよとか、そうすると、そういう人たちは横で結びついているので勝手に広まる。そういう人を呼ぶには、いいお出迎えをしなければいけない。そうやって町はレベルアップしていく。町に訪れる人で町の姿は変わってくる。
原 田
いまからだと思うので、既に重伝建になった地域の人たちとつながるのがいいと思います。前からやってる人はいろんな意味で情報もってますから。伝建地区の勉強会、あちこちでやってます。みなさんと若い人で勉強に行かれるといいと思いますけど。
佐 藤
左官を育てていかなくてはならないというのは、身にしみてわかりましたけれど、問題はこの蔵を守っていくために、いまのところ、修理、修景、蔵については自力でやらなければだめ、というのがあります。前面側面屋根は、文化庁に申請すると補助をもらえますが、外から見えない部分については補助が出ませんから、自力でやらなくてはいけないのがいまの問題点かなと思っております。
挾 土
ぼくは1度、高山でシンポジウムやったことがあります。建築家の隈研吾さん、料理人の野崎洋光さん、文化庁の近藤長官も来ました。そのときに町並みのことや条例のことを勉強したんですが、文化財はまず登録文化財から始まる。それから市、県、国の文化財というようになるにつれて補助が大きくなる。でも登録文化財は全部、個人持ちです。超ど級な建物も登録文化財から始めて、順番にあがっていくんじゃきつすぎる。個人の負担が大きすぎてしまう。すばらしい建物はいきなり重要文化財にしないと、日本の文化が壊れてしまう。持ち主の人はほんとに大変だと思う。安易なことはできないし。文化財の在り方など、増田町から提起したほうがよいと思います。難しいことですが。
黒 田
うまく表現できないんですがが、住まう人の気持ち、それが非常に大事だと思います。いまは重伝建になったことで、自分の持ってる蔵の価値にやっと気付いて、これから将来に向かって考えていかないといけないんだな、本気で考えて取り組んでいこうという意識が芽生えた時期です。それを支えていくのは、その方たちだけではなんともならないのが現実だと思いますし、行政の方々の協力を得て、それと当組織みたいなものも全部で盛り上げていければと思います。
鈴 石
今日はお話を聞いて参考になりました。左官の学校という話もありましたが、横手市に観光の問合せも来ますので、そういうものがあると人も呼べるのではないかと思いますので、検討したいと思います。技術が止まってはいけないということ、私たちも肝に銘じて取り組みたいと思います。