第4回「黒漆喰磨きの集い」参加レポート (秋田県横手市増田)<br>初見聞、増田の内蔵〜磨きの向こうに 文・写真 渡辺征治

わたなべ・せいじ

1965年宮城県石巻市生まれ、在住。いまやマイナー米となったササニシキを偏愛する米農家5代目、兼フリーライター。農、林、漁など生産の現場、それらと分かちがたく結ばれた食や暮らしの文化を、東北6県に訪ね報告する。執筆誌歴〜月刊家の光・月刊地上(家の光協会)、木の家に住むことを勉強する本・季刊『住む。』(泰文館/農文協)、隔月刊コンフォルト(建築資料研究社)、旬がまるごとマザーフードマガジン(ポプラ社)、北上川物語(三陸河北新報社)ほか。

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このところJR東日本の印象的なCMがオンエアされていますね。吉永小百合さん出演の、こんな音声とナレーションで。

40あまりの商家が家の中に蔵を構える秋田、増田の内蔵(うちぐら)。
「(蔵を)守るための傘の役目です」
(案内者:「鞘」と呼ばれる外構を指して)
外は質素に、中は美しく。
それは、このまちの生き方そのもののようでした。
JR東日本公式サイトのCMギャラリーより

そんな秋田県の横手市増田で催されてきた「黒漆喰磨きの集い」。1月29日開催のVol.4にして初めて足を運ぶことができました。
と言っても諸事情で午前中の小林隆男左官の講演には間に合わず、蔵見学途中からの参加とあいなりまして。皆に加わり気がつけばペンも持ってない。そんなこんなで、本稿は詳細レポートではありません、ごめんなさい。文中に登場する方の発言も、厳密な言葉どおりではありません、そのような趣旨ということです。ご了承ください。初めてじっくりと訪ねる町並みと蔵の印象、胸に響いた小林さんの言葉からの小さな考察です。

道路上以外には雪が積もる、増田の町。1月末としては、少ない積雪と思われます。町中心部の中七日町通りを過去に歩いたのは、増田高校農業科学科の取材で訪れた6年前。約束まで少々の空き時間に急ぎ通り抜けたのでした。噂の蔵は鞘(さや)と呼ばれる外構の中だし、公開しているところも見当たらなかったように記憶しています。そんな当時と比べると、見違えるほど商家の町並みが調えられていました。観光案内所、蕎麦屋さん、日本酒や味噌の醸造元、カフェなどなど、古き良きたたずまいを取り戻しながら営業しているではありませんか。幾重にも重ねた梁と白壁、雪国らしい大きな庇、通りに面したファサードの下屋。いや正直、ちょっと浦島太郎的に驚きました。

「平成25年12月に国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されて、国の助成を受けて修復が進められています。他の地域で10年とかの時間をかけてやっていることを4年の間に進めてきているわけで……」と、NPO増田地域活性化ステーションの黒田稔理事長。道理でウラシマ効果。「懐かしい未来」への歩みを、増田はあまり実例のない快活なテンポで進めているように見受けられます。

妻側が通りに面してファサードとなる「切妻造妻入り」。奥行き一間ほどの下屋がつく。

明治36年築(1903)。たばこ商、水力発電会社などを営んできた旧松浦千代松家。

増田の蔵の、凄さとは。

駆け込んだ旧松浦千代松家では、小林さんがまさに解説の最中でした。増田の蔵、初対面。黒漆喰の「磨き」と呼ばれる左官仕事も実際に目にするのは初めてです。すごいなー(なんてありきたりな感想)。表面が鏡のように平らか、滑らかで、何の解説もなく土壁とだけ言われたら信じないかもしれません。仕上げには大変な技量が要求されるようです。玉のような模様や、また経年変化で下地材の木目が浮かぶこともあり、「これはたまたま現れたのではない、そうなるように計算していたと思う」と小林さん。

土蔵は少なくなったとはいえ今なお各地に見かけるし、歴史ある町並みに連なる土蔵も少なくありません。「蔵のまち」を観光のキャッチに掲げる、福島県喜多方市のような自治体もあります。しかし増田の蔵群は別格。そう言われる理由が、小林さんのお話にこもる熱で少しずつわかってきました。どこの地域の土蔵も追随できなかったほどの左官や職人たちが、ある時期の増田に集結し腕をふるっていた。凄まじいと言ってもたぶん言い過ぎではない熱量が、きっとこの小さなまちに満ちていたのだと思います。その結晶である内蔵と共に、増田の人は時代が変わっても営々と暮らしてきた。そこにいま光が当たっているのでしょう。

「左官の技だけではありません。大工、建具職人、漆の塗師、それらを束ねる棟梁たち、それぞれが使う素材の吟味、使い方と研鑽、施工、すべて最高の水準です。おそらく考えうるあらゆる素材、使い方を試している。そういうのは大概、高価なものがいい仕上がりになるんですけどね」

2階屋根のてっぺんには、抱えきれないほど太い棟木(むなぎ)、その下に母屋(もや)と呼ばれる通しものが2本、妻側に一つだけ開いた窓からの光に浮かんでいました。黒田さんによれば、棟木は青森ヒバの一本ものだそうです。小林さんが続けます。

「これだけの太さのもの、重機のない時代にこの高さまでどうやって上げたのかも、皆さんには想像してほしいんです。単純に頭数さえ揃っていれば上げられるものではなかったはず。段取り、手順、人を束ねる力が優れていなければできなかった。そんな人材が増田に集っていたのは、どういうことだったのかを想像してみてほしいんです」

旧松浦千代松家の内蔵。黒漆喰はマッティに見える磨き、鞘飾りと呼ばれる木工造作。

左官小林隆男さん。「集い」の第1回から講師を務められる。5分に1回程度の「ネタ」も必笑。

旧石平金物店、いまは「観光物産センター蔵の駅」。鞘の内部はとても天井が高い。

遺した施主、職人の心を見つめる。

増田は江戸時代から街道の要衝にあった交易の街。さらに鉱山、養蚕による生糸や繭の集散、葉たばこの集散、水力発電や銀行の創業などで栄えた屈指の商都だったそうです。その富で明治〜大正〜昭和の初めにかけて、内蔵も建てられました。家財を火災や盗人や天変地異から守り、今流の言葉で言うトリクルダウン―利益を行き渡らせるためにも必然であったことでしょう。しかしあえて言うならば栄えた町は東北各地に増田だけでなくいくつもあったはずです。建築の極みである土蔵を、このような内蔵という形で、しかもさらに粋を集めて建てられたのが他でもない増田だったのは、なぜでしょう。どんな人たちの、どんなきっかけで、何を目指して。

往時の人々はもちろん歴史の彼方で、記録もとても乏しいようです。これら蔵群の建築や補修・維持に関わった職人がいまご存命でないのか、聞き取りができないものか、黒田さんにたずねてみましたが答えは残念なものでした。  「数年前にこの辺で最後の左官が亡くなりました。そうした職人たちの息子さんも後を継いでいませんから、建て方の詳細や技術の伝承は完全に途絶えてしまったんです」

誤解を恐れず言えば、漆喰やなまこ壁で仕上げた土蔵には、威張っている印象を私は持っていました。セリフを当てれば「どうだ。うちは豊かだぞ」というアピール、内に納めた蓄財の象徴。それも蔵がもつ大事な役目の一つではありましょう。しかし増田では外からの視線を鞘で遮っています。小林さんは左官の立場から、「腕前を世に見せようとか、そんなつもりじゃなかったと思う」と言います。

「いま照明も点けて公開されていますけど、増田の蔵を観るのは窓からの明かりだけでも、ろうそく1本の明かりでもいい。どこを細かく観ても幽玄ですわ。幽玄というのは、何かわからないものが隠れている世界ですよ。左官や職人たちは、極めた磨きの向こうに、漆の向こうに、この世ではない何かわからない別の世界を観ていたんだと思うんです。それを観たい、言うんかな。そのために技の限りを尽くした。そうして遺したものは1000年先も変わらない価値だし、だったらいまの我々も1000年先を見据えて、考えたものづくりをしなければならない」

ここでふと青森県のミスター三内丸山遺跡・岡田康博さんにかつて聞いた話を思い出しました。造った人が一度途切れてしまったものを、明らかにして守り受け継いでゆくためには2つのことが必要だそうです。
「そのものからまず情報を引き出すこと。三内丸山では、貝塚のゴミから食生活の中身を、土壌の花粉分析から栗栽培の可能性を突き止めたように。そして遺した人の精神世界、あえて言うなら宇宙観を分析することにも着手しています。たとえば墓地が集落の最もいい場所に設けてあったことから、死者への畏敬がすごく大きかったと考えられるんです」

増田の蔵についても通じることのように私は感じるのです。遺跡と違って、何より幸いなことに増田には受け継いでいる人が健在です。それぞれの蔵との暮らし方、先人から伝わる蔵の意義や思い、言い伝えを、丹念に聴きとめて記すこと。そこから蔵を遺した人たちの心を、さらに精細に読み解くこと。蔵をこれからも保ち、繕い、命脈をつなぎ続けることに期待します。こうして左官会議の集いが催される増田は、その点においても心強いですね。景観を修め保ちながらまちおこしを進めていく中に、建築やものづくりの職人ネットワークが関わっている事例は、全国でどれくらいあるのでしょう?

日本の隅々で茅葺屋根が消え、板倉や土蔵が消え、伝統的工法の古民家が消え、都市でも近代の名建築が取り壊されています。その理由は「もう使わないから」「維持が大変」「新築のほうが安い(ウソとからくりも多そう)」と、残念無念なものばかり。

エネルギー革命、建材の革新、クルマと高速交通網、パソコンとインターネット。技術革新が暮らしの姿を根底から変えてしまうことを、いま私たちは知っています。だからなおのこと、1000年後の世の中がどうなっているのかはとても想像し難い。それでも、何がどう変わろうとも動かない、高い価値は存在します。増田だけでなく、自分の暮らすまちに見出すこともできるでしょう。黒漆喰磨きの向こうを観ようとする目を、持ちたいと思います。

黒漆喰磨きの集い vol.4
開催日 2017年1月29日(日)
会場 よこて市商工会増田支所 2階会議室
講師 小林隆男 (公益社団法人日本左官会議 副議長)
主催 NPO増田地域活性化ステーション
後援 一般社団法人 増田町観光協会
公益社団法人日本左官会議

旧石平金物店の内蔵。粋の限りを集めていながら、華美というより質実剛健も感じる。

旧石平金物店、内部はお座敷を設えた座敷蔵。一杯呑んでみたいなーなどと思った。

小さな室内照明を受けて光る黒漆喰。幽(かす)かに、あぶり出しのようにおぼろげに滲む。

奥羽山脈の西麓に位置する増田は水が豊かで美しい。山側から掘割が走り、まち中を潤す。

谷藤家(横手市指定文化財)。秋田内陸南部の住まいは、破風の印象がかすかにふっくらとしてやさしい。

谷藤家の内蔵(座敷蔵)。つるんと光沢のある磨きの黒漆喰。母屋2階座敷には白漆喰磨きも。

町に1軒の造り酒屋、日の丸醸造の内蔵(文庫蔵)で、小林さんと黒田稔理事長。